top of page

半年待て

 今から46年前の1971年(昭和46年)、私は20代半ばの初々しい若嫁だった。
 同じ滋賀県下の男性と結婚し、嫁ぎ先にも馴染み始めた頃だった。

 かねてから座ってみたかった義父の座布団。留守だし、ちょっと失礼した。
 この座布団、普通サイズの倍はしっかりある。思った通り、座り心地の良いこと、この上なし。
 同居している義父は、この上で毎日、裁縫の仕事をしている。
 でも今日は、嫁の私が主(あるじ)。
 私がこの家に嫁いで一年。
 ご近所さんの見分けはまだまだ怪しい。
 結婚後もずっと会社勤めで、家には寝に帰るだけ。そんな嫁を残し、今日、夫は両親と出掛けた。
 私にとっては降って湧いたような嬉しい話で、全館開放の一日。
 さて、どうしようか……。

 例の座布団に座り、通りに目をやる。
 向かいの娘さんが、長靴を履いてゴムホースを肩に出て来た。木枯らしの吹く中、車庫のシャッターを上げた。
 途端に落ち葉を吸い込んで、シャッターはまた下りた。
 気が変わったのか。

「ん?!」
 シャッター前の吹き溜まりに何かある。
 心が躍(おど)る。
 急いで外に走り出た。
『あら、こんな所にお金が!』
 こんな時の直感は結構当たるものだ。
 落ち葉の下から半分だけ顔を出している五千円札。当時の五千円は、平成29年の今よりずっと有難味(ありがたみ)のあるお札だ。
 先ず片足で押さえる。
 すぐには拾わない。
 が、この格好(かっこう)何とかしなければ。

 お金は、先ほどの娘さんが落としたに違いない。
 いやいや、強い風に乗って舞い降りたと考えるのが自然だ。
《玄関のベルを押そうか。それとも、黙ってポケットに入れようか》
 迷いながら、次の場面を想像した。
「拾って頂き、有難う」と受け取るか?
「いいえ、私のではない」と断るか?
 向かいの家は大金持ちと、義母が言っていた。
 金が唸っているなら、五千円なぞ端金(はしたがね)。しかしお金持ちほど、金に汚いって聞く。
 どうしたものか……。
 五千円札が足の下で、
「早く決めろ」と催促する。
 長くは突っ立っていられない。
 そうだ、落し物は警察。
 一部始終を話せばよい事なのだ。これで事は丸く収まる。
 そして半年後に落し主がいなければ、拾い物は拾い主のものになる。

 その後、私が警察に出向いたかどうかは忘れてしまった。
 ただその娘さんと出会うと、私の胸はチクチクと痛む。

-fin-
2017.07

『何でこんなところに?!』をテーマに書いたエッセイです。

bottom of page