top of page

おへちゃにも五分の魂

「ふさ江さん、ええお天気やなーし」
「ほんまやなーし。今日もよろしおすな」
「ともちゃんも一緒に。ええ子やな」
「いーえ、色は黒いし、ひみずな子ですねん」

『また今日も《色黒のひみず》と言われた』
 小学生の私でも、この《ひみず》の意味があまり良い意味でないことぐらい子供心に見当がつく。
『ひん曲がったみみず? まさか』
 母達大人の会話は、いつも長く、ぺたぺたまとわりついてくる挨拶で始まり、話のとっかかりは傍にいた子供の私がよく引き合いに出された。

昭和30年頃、私の実家のある滋賀県東部では、先ほどの挨拶がよく交わされていた。
 明治生まれの母が話す言葉は、ことわざなどが織り交ざり、聞いていて本当に楽しかった。
 その母が話す、
「うちの子は色黒でひみずで……」
 この意味も知らないのに、子供ながら
『自分は色黒のひみず』
 と思い込んでいった。
 何度となく聞いた、いや聞かされたこの言葉は、まるで洗脳だ。

 しかし、日が経つと忘れてしまった。
 それがふっと息を吹き返したのは、年頃になってからだ。
 引っ込み思案の私は、まさに《ひみず》を地で行くようで、母はそんな私のことを小さい頃からお見通しだったのだろうか?
 ここで《ひみず》の意味を調べてみた。
 65歳にして初めて知る真相だ。
 広辞苑によると《もぐら》とある。
 その他に、陽の光を嫌い、土の中で暮らすもぐらに例え、
『いつも閉じこもって、決して人前に出ない人』とある。
 こんな意味が隠れていたのだ!
 2014年の現代でいうなら《引きこもり》だ。ひどいではないか。未来ある我が子に母は《引きこもり》に色黒のおまけつきで言いふらしていたことになる。
 腹は立つが、昔の母達大人の軽いやり取りだ。そんな深い意味合いで言ったのではないことにしておこう。

 とにかく、年頃になってもパッとしない自分の顔が嫌でしようがない。そのくせ化粧は目立つような気がしてやらない。
 そんな頃、M化粧品の吉永さんに出会った。
 吉永さんは化粧品の訪問販売の女性社長さんだ。
「別嬪(べっぴん)の素顔より、醜女(しこめ)の化粧」
 読んで字のごとく、きれいな人が素顔でいるより、おへちゃさんが化粧をしている方が良いというのである。
 私は自分のためにある言葉に思えた。
 おへちゃの私にも市民権があるのだ。ちょっと化粧をしてみようかなという気になるから不思議だ。
 それにしても、この社長の化粧の濃いこと。かなり醜女なのだろう。きっと私と同類だと勝手に想像した。
 客観的に見てみると、吉永社長のめりはりのある顔は、宝塚歌劇団の鳳蘭(おおとりらん)に似ている。
 自分の顔をキャンバスに化粧で楽しみ、
「それからもう一つ、女は愛嬌ね」
 と微笑んだ。

 以来、私はこの化粧品の30年近くのお客さんである。
 化粧は私にとって《安心》であり、おかげで《色黒のひみず》にならずに済んだ。

-fin-
2014.10

『名言』をテーマに書いたエッセイです。

bottom of page