糸を編んで
専業主婦の岡田咲は、思いがけないことから自分の居場所を見つけた。それはあるペンを使って文章を書くことだった。
以前、ストレス解消になるかと日記をつけたことがあったが、誰かに見られたらと思うと、なかなか本心は書けなかった。
そんな折、このペンに出会った。
思いつくまま心の内を書いても、洗いざらい心の内を吐き出してもOK!
書いた物は他人には全然わからない。もちろん紙に書く。
書いた紙なら、どこかへ隠すなりできるが、ペンが一体どうしたって?
これだけの説明ではわかりにくいが、ペンの全容がわかれば、きっと誰もが一本欲しくなるはずだ。
ことの始まりは新聞の謝罪文からだった。
新聞の下段に、咲のよく知っている会社の名前が載っていた。消えるボールペンを開発したR社だった。失敗しても消せるので、咲もよく使うペンだ。先日も数本買ったばかりだ。
記事によると<消える>材料に異物が混じったらしい。気付かないまま出荷されたというのである。
作業員が噛んでいたガムが、口から落ちてしまった。ガムがどの様な反応を起こすのか誰も見当はつかなかった。それ故、異物がガムとは伏せられていた。
<消えないペンがあれば交換します>の内容を確かめると、咲は買ったペンを調べた。
見た目はいつものペンだ。
丸を描いてみた。消そうとペンを上げると、なんとその<丸>の円がくっついてきた。消すどころか、ペン先から<丸>が離れない。仕方なく鋏で切った。
別のペンも使ってみたら、同じだった。
<あいうえお>と一筆書きのように続けて書くと、<おえういあ>と連なってペン先にぶら下がった。
<人美は私>と書けば、<私は美人>とペン先につながって上がってくる。
面白くなった咲は、書いては切り、書いては切りを繰り返し、いつのほどにか黒い字の山ができていた。
だがふと気がつくと、積み上がっていた字の山はなくなり、その字の代わりに黒いまっすぐな糸とも棒ともしれないものが伸びていた。
咲は驚いて1本をつまみ上げた。
しげしげ眺め、「フッ」と息を吹きかけた。
あらら、また元の字に戻った。
まるで生きているようだ。もう1本取って息を吹きかけた。
<私は美人>が蘇った。次々と蘇った。
こんな面白いペンをわざわざ返品する必要はない。むしろもっと欲しいくらいだと咲は思った。
咲の頭の中では、このペンで日記を書けないかと考えていた。
『問題の鍵は息だ。他人の息で蘇ったら困る』
再び棒状になった字を、毛糸玉を作るように巻いた。
『この糸玉を誰かに吹かすとわかるのに』
そんなことを思い巡らしながら巻いた。
ピンポ~ン♪
玄関でチャイムが鳴った。宅配らしい。
咲は糸玉を持ち、わざと配達員の前で落とした。足元に転がった糸玉を、配達員は「フッ」と息をかけると汚れを手で拭い、咲に返した。
字に戻らなかった糸玉を咲は受け取り、
「ありがとう」
とゆっくり頭を下げた。
<注意>
この物語はフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。
-fin-
2015.06
『一本の筆・ペンに不思議な力を与えて』をテーマに創ったフィクションです。