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変わった嫁って言わないで

 昭和四十六年、二十二才の私は親から言われ、渋々、和裁洋裁を習う毎日を過ごしていた。
 そんな折、姉が見合いの話を持ってきた。
 姉の実妹と言う事で、話はすぐに進み、結婚は決まった。

 七十一歳の今になって振り返れば、「若さ」って、「知らない」の代名詞だ。
 結婚当時は、赤恥(あかはじ)の連続だった。
 出来る事ならタイムマシンに乗って、その頃の私に色々と教えてやりたい。

 義両親との同居も
「肩肘張らずに行こう」
 と、夫も言ってくれた。
 実に頼もしい人に見えた時である。

 結婚後も働いたので、食事など家事全般は義母が引き受けてくれた。
 私は二年間ほど下宿人同様の生活で、嫁という立場を忘れる毎日を送っていた。

 会社から帰宅すると、すぐに御飯だ。
「有難うございます、お義母さん」と頭を下げ、台所を見た。
 鍋の中にある魚が見えた。
『あれ! 今夜は鰈(かれい)の煮付けや。私、この魚、好きや!!』
 詳しく言えば、そのおつゆが好きなのだ。煮凝り(にこごり)である。
 魚かおつゆかどちらの方が好きかと問われれば、悩ましいところだ。

 鍋から一切れずつ各自の皿に取り分け、プルンプルンのおつゆは自分には、ちょっと多めに御負け(おまけ)した。
「いただきます」
 私は軽く皿を押さえ、切り身を半分に割ると、おつゆと共に御飯の上にソーッと置いた。
『しめしめ、溶け始めたぞ』
 御飯の下に流れていくおつゆ。
 温かい御飯から良い匂いがする。
 掻き混ぜるのは、勿体ない。
 急いで口の中へ掻き込んだ。
『美味し、美味しいな。やっぱ鰈の煮付けは味がええ。そしてこのおつゆ、鯵(あじ)より上をいってるわ』

 ふと視線を感じる。まさか。
『ひょっとしたら見られてる? そや、ここは親元やなかった』と気付いた。
『四つの目、いや夫も入れて六つの目が見ていたのやろうか。あかん、止めよう。魚はお皿の上で食べよう』
 急に恥ずかしさを覚えた。
 これは行儀悪いって、実家(いえ)でも言われていた。
 しかしなぁ、こんなに美味しいのに。
 義父は私の好物を尋ねた。
「煮凝り」
 とも言えず、少し間を置いて、
「まぁ、色々と……」
 顔を赤くして答えた。

 本当はもう一つ、煮凝りに匹敵するほど好きなものがあった。
 とても大ぴらには言えないが、焼き魚の皮である。特に鮭の皮なんか一番。
 地元滋賀県名産の日野菜(ひのな)のぬか漬けと焼き魚の皮を一緒に、サッサッと食べるお茶漬けは最高に美味しい。
 この時も身より皮である。
 鯵の皮もチリチリと焼き目がついているのが良い。ほどよく脂が光っているのもこれもまた良い。

 結婚後しばらくして、義父もお茶漬け派であることを知った。
 洋服を仕立てる手仕事をしているので、夜は寝るのが遅く、朝は昼と兼用で、それもお茶漬けなのだ。
 夕べの残りの甘鯛の塩焼きを、サラサラ。
 茶碗に当たる箸の音さえ、美味しそうに響く。
 その食べる姿は尚の事、より旨さがこちらに伝わってくる。

 嫁いだこの家は、決して派手ではなかったが、夜のおかずに魚は欠かさなかった。
 知らず知らずのうちに、嫁の私も習っていたのだろうか。
 嫁いだ先の食卓と同じで、煮魚、または焼き魚の隣には御浸し、和え物の献立で毎日を過ごしている。もう四十八年間も。

-fin-
2020.02

『作者の好物の魚や魚料理にまつわること』をテーマ書いたエッセイです。

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