男友達
仕事中、突然何の脈略もなく、隣に座る若い男性(こ)が、
「もし戻れるなら、何才に戻ってみたいか?」
と聞いてきた。
ちょっと考えて、
「私は十六才がいいな」
と答えた。
半年前に高校生になった孫を思い浮かべ、あの頃に戻れたらどんなにいいだろうと思う。
孫はずっと幼い感じが抜けない女の子だったが、いつの間にか〈カレシ〉などと口にするようになった。〈カレシ〉のことを聞いて欲しいようで、欲しくないような……。それが自分のことを話しているはずが、急に人の話になったり、また元に戻ったり。辻褄が合わず、実に面白い。
「それでどうなん? それ、あんたのことやろ?」
と尋ねると、否定も肯定もせず笑ってごまかす。
十六才。この年令で〈カレシ〉を作るほどの発展家はいない家系だ。新しい風が吹いたのだろうか?
いや、待てよ。いない訳じゃない。
いた。私だ。
今の今まで忘れていた。次第に頭のもやが晴れて来る。
思い切って、封印していた話を紐解いてみることにした。
昭和四十年(一九六六年)の話だ。
十八才の春、私は生まれて初めて男性と遊びに出掛けた。
相手は、顔も見たことのない、言葉も交わしたことのない人である。平成の現代なら、ひょっとして事件が起きかねない状況である。
大胆にも私は、一人でのこのこ出向いて行った。
こう書いてきて、五十年経った今の私は、自分の性格があの頃と少しも変わっていないと気づいた。それも良し。好奇心があるからこそだ。
その相手たる人は、文通相手のNさんである。姿形こそ分からないが、二年間に交わした手紙でNさんの人物像を私は作りあげていた。
昭和三十年代も後半、私が中学生の頃、文通をするのが流行った。携帯電話のない時代だからこそ、手紙を書くのにためらうことは何もなかった。むしろ自分の住む地域以外の人と手紙を交換することなぞ、夢、憧れだった。
雑誌には〈文通しましましょう〉のコーナーがあり、わくわくしながらページをめくったものだ。私は自分の好みに合う人を探し出しては、せっせと手紙を書いた。自己紹介を、何度書いたことやら。
送った手紙に返事をもらえることはなかった。それでも稀(まれ)に返事が返ってくることがあった。嬉しくって、またこちらから手紙を書くが、以降はなしのつぶて、それっきりだった。滋賀県からというと知名度の低さで選り分けられるのではと、ひがんでしまう。
そんなことの繰り返しの果てに、巡り合ったのがNさんである。
私のあきらめ半分の手紙にもかかわらず、丁寧に返事をくれた。美しい字は文面まで良くした。穏やかな家庭で育ったのだろうと思った。
『これは衿を正さねば』
と、考えを直した。いい加減に書いたら、失礼だと思った。私には勿体ない人だとも思った。
直感は当たるもので、私の青春はこの人そのもの。
誰にも明かしたことのない、甘酸っぱい若い時代のちょっといい話。
-fin-
2017.01
『あなたの○○初体験』をテーマに書いたエッセイです。