合図は鈴(りん)、二回
家を買うには、キャッシュが良いと思う。
それもあればの話だが。
二十年ローンで私達夫婦は、あくせくと働き、支払いが終わる頃には、子供達は巣立って行った。夫までそそくさと逝き、私一人が残ってしまった。あれよあれよという間に、時が過ぎてしまった。
チン、チーンと鈴(りん)を鳴らし、
「ね、お父さん。どう思う?」
私は一人、仏壇に向かい声をかけた。
日曜の朝のこと、慌ただしい毎日と違い、今日は線香が真横に棚引き、シーンと静まり返る我が家である。
それも孫達が来るまでのことだ。
それまでにリビングをきれいにしなければ。今朝はやく、息子からメールが入ったのだ。
「お父さん、今日、これから息子達が来るんですって。何か良い物を持って来てくれるらしいですよ」
私はようやく腰を上げた。
テーブルの回りは、手の届く所にあれこれと置いたままである。
こんな時、気ままな独り暮らしは困る。息子とはいえ、いや息子だからこそ見せたくない、間違われたくない有様だ。七十に近い私は、とうに認知症年令と言われ、二〇一六年現在の世間は、これで随分と賑やかなことである。
「ね、ね、お父さん。あの子達、一体なにを用意してくるんでしょうね。楽しみ。早く来ないかな」
私は話しながら、先日買ったばかりのカーディガンを思い出した。青地にピンクの花柄がアクセントになって、私のお気に入りだ。鏡の前でちょっと体に当ててみる。
「うん、似合ってる。今日はこれを着てみよう」
線香の煙が歪んだ。空気が動いたのかな。
『うん? なに?』
私は再び仏壇を見た。
『相変わらず息子のことになると、楽しそうですな。今でも俺が殴ったこと怒ってるか、アイツ。おまえさんの今日の笑顔は、そのカーディガンのせいやろか。そんな色を着てるの、見たことなかったで』
「それって嫌味ですか。それともやきもちかしら。やきもちなら私の十八番(おはこ)ですよ……。馬鹿に急いで死んでしまって。やきもち焼く相手もいないから、この四年間拍子抜けですよ。あっ、あの子たちが来たようですよ」
ドアを開けると、小学生の孫の真緒ちゃんがピースサイン。手には大きな袋を下げている。
「バア。これ蟹! 凍ってるし、朝テーブルに出しとくと夜に食べられるし。食べて下さい」
それだけ言うと、二階へ駆け上がって行った。ここに住んでいなくても、自分だけのスポットがあるらしい。亡くなった夫ともよく遊んだ部屋がある。
真緒ちゃんのくれた袋には、オホーツク産のシールが貼ってあった。北の端からはるばると、ようこそ関西の我家(わがうち)へ。夫がもう一度、食べたかった蟹だ。やはり息子は知っていてくれた。
この蟹の一杯が、夫と息子の雪解けとなりますように。
「お父さん、さあ、召し上れ」
-fin-
2016.03
『声をかける、または声をかけられた』をテーマに書いたエッセイです。