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さくら色に頬染めて

 17時15分。
『今日も働けました。有難うございました』
 フフッ、スケートの羽生結弦君並みの挨拶で会社を後にする。
 さあ、今日もあの道を通ってみよう。ひょっとしたら、また出会えるかもしれない。
 偶然通りかかった道で、クラブ活動で弓道に励む孫娘を見た。
 それ以来、「おかえり」の声もない一人住まいの我が家に帰るまでの楽しみになった。いつも寄るスーパーに行くには、ちょっと遠回りだが、そんなことなど何のその。
 いつの間にか孫娘はニキビ顔になり、本人は悩みの種らしいが、70前の私にしてみれば、分けて欲しいほどの肌の潤いである。

 あれ、学校付近が明るい。昨日までの雰囲気と違い、やけに華やかだ。ボンボリが風で揺れている。
 花見が始まったのだ。
 この公園の桜祭りを皮切りに、町内の桜の花が開く。
 いよいよ春本番である。
 私の住む町を地図で見ると、甲賀市は滋賀県の下の大部分を占めている。その殆どが山である。そのお蔭か、桜前線は遅くまで居座るのである。
 亡き夫と一緒に私達夫婦は、その遅い桜を見に行ったものである。
 そこは家から車で30分もかからない所で、街中の名所と違い、いたる所に害獣避けの電線が張ってある里山なのだ。これもまた現代らしい風景である。

 今でこそ桜の名所とこの地も知れ渡り、多くの人が行くと聞く。
 私達が通い始めた頃は静かで、そして一日中楽しんだものだ。
 満開の花の下、弁当やお茶やお菓子をいっぱい広げ、夫は膝元に酒類を集め、花より団子だ。
 両脇の土手の間を川が流れる。
 見たところ、そう深そうでもない。
『ここに、幼い孫達を連れてくるか』
 と思った。
 連れてきたら、孫たちは大喜び。
 いつしか孫と共に、日がな一日よく遊んだ。
「あらま、まおちゃん。オムツがパンパンによう膨らんで。一度、取り替えよう」
 どんなに声を掛けようが、首を縦に振らない。
「こんなに水と子供は相性がいいとはねぇ」
 引き上げるのに一苦労した。
 今は弓道に励む孫娘との、ほんの10年余り前の楽しい思い出である。

 今もあの土手の川には、木の橋が架かっているだろうか?
 夢に見るのだ、あの橋を。
 歩くと上下に撓(たわ)んだ。揺れる度に放り出される思いがした。私は一気に走り抜けた。
『よかった、行けた』
 夫が橋の袂(たもと)で、笑顔で待っていた。
 こんな時もあった私達である。
 あの頃に戻ってみたいかって?
《終わり良ければ全て良し》とはいかなかった私達夫婦だ。
 その夫が逝って6年経った。
 夫のことを冷静に見つめ直すには、これだけの時間が私には必要だったのか……。在りし日の夫の言動をゆっくりと振り返ると、夫には心の病もあったのではと気づく。

 桜が咲くと、夫のことを思い出す日が増える。
 桜と夫が私の中で、こんなにも密に繋がっていたとは、自分でもびっくりする。
 花の季節が巡ってきて、私は迷う。
「あの桜を見に行こうか。どうしよう」
 決めかねたまま朝になる。
 その朝、外の風の音が一段と激しい。
 ピュウピュウと春の嵐の出現だ。
『この強い風では一溜(ひとたま)りもなく花は散るに違いない』
 と思った。
 私はなぜか肩の荷が下りた気がし、ホッとした。

-fin-
2017.05

『心が晴れたこと』をテーマに書いたエッセイです。

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