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ちょっと寄り道

 二〇一九年、今年の夏も相当に暑かった。
 十一月に入り、やっと秋は来てくれた。
 庭の木々も色づき始め、日毎深まっていく。

 私は八十才。
 高齢者、老女、老人、好きに呼んで頂いて結構だ。
 若い頃は懸命に会社勤めをし、無事定年退職した。
 結婚する相手がいなかった訳ではないが、結局、独身の方が仕事を持つ身には気楽だった。
 退職後は山登りにのめり込んだ。

 庭の隅の桜が赤く染まり、その葉の黒い点は虫食いの跡か。それもアクセントだ。
 そうして、ゆっくりと庭を眺めてみた。
「仕事に目を向け、山に目を向けてきた私のちょっとした寄り道」と無意識に呟いていた。

 柿の木のオレンジも、桜の葉に負けじと胸を張っている。
 葉の間から富有柿が顔を出しているのも好ましい。
 隣の渋柿は、「見事、見事」と手を叩いて褒めてやりたい程鈴生りだ。

 初夏に紅紫色(べにむらさきいろ)の花を咲かせる紫蘭(しらん)は、知らぬ間に陣地を広げ、霜月(しもつき)ともなれば茶色の葉を残すだけだ。
 蘇鉄(そてつ)と紫蘭が夏中、上と下で競っていたが、本格的な冬が来るまでは蘇鉄の一人舞台である。

 庭の片隅には桔梗があったはずだが……。
「おや、消えている」
 この場所は犬走りと接していて、通路際である。

 この通路に小さなすり鉢状の凹(くぼみ)を見つけた。
 丁度桔梗の葉一枚分の大きさだ。
「まさか、あの蟻地獄……?」
 こんなに身近にいたとは。これは面白い。
 庭の木や花も良いけれど、これだ、この蟻地獄! 
 虫に興味も薄れ、すっかり虫嫌いの大人になってしまった。とはいえ、もう一度見てみたいものに蟻地獄があった。 
 ここで会ったが百年目だ。

 子供の頃の遊び場の一つに、寺の鐘つき堂があった。
 そこの砂は絶品で、絵を描いたり掘ったり、とにかく飽きることがなかった。

 蟻地獄のすり鉢もそこにはいくつもあった。
薄黄土色のクレーターは、その後に見た月のクレーターによく似ていた。
 興味は尽きず、いたずら心が湧いて、すり鉢に団子虫の死骸を放り込み、形を少し崩してやった。
 次の日、形を元に戻した状態で空っぽのすり鉢があった。
 異物を入れ、すり鉢が壊れると直すとは、ちゃんと応えてくれるではないか。
「面白い、面白いな」
 随分と昔の話だが、鮮明にあの時に感じた喜びを思い出した。

「たしか、あの時、鐘つき堂の梁(はり)にあった吊るし柿が笑うように揺れていた」
 そんな情景まで蘇ってくる。

 ちょっとした寄り道がきっかけで、老いた私を懐かしい遠い過去へと運んでくれた。
「行く秋を楽しむのも、これまた良し」
 温かい紅茶を淹(い)れて、もう暫(しばら)く我が家の庭鑑賞をしようと、私は屈んでいた腰を上げた。

-fin-
2020.1

『タイトルありきで物語を創作する』をテーマに書いたフィクションです。
タイトル:ちょっと寄り道

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